2.26.2009

<メモ>小説作法  「書きあぐねている人のための小説入門」〜保坂和志

一人は四年生のときのMさんで、社会科の授業で先生が「昔というのはいつのことでしょう」という問題を出したときのこと。
答えを書かせた紙を回収し先生が一枚ずつ読んでいく「○○、十年前。○○、100年前。○○、50年前。○○、50年前・・・」というふうに続いていったのだがMさんの答えだけは違っていた。
「お母さんのお母さんのお母さんが生まれる前」
教室中が大爆笑だったけど、今思うとMさんの答えだけが「小説の生まれる瞬間」だった。

小学生にもなると小狡くなっていて「社会科の授業」という枠の中でものを考えるようになる。
その中でのMさんの答えには明らかに“個”が立ち上がってくる気配がある。


二人目は六年生の同級生だったW君で卒業文集にまつわる思い出だ。
全員がそろいもそろって「桜が満開の中をお母さんに手を引かれて歩いてきた六年前が昨日のことのように思い出されます。」
「四月からは希望に胸をふくらませて、中学校に進みます」なんてことを書いている中で、W君だけはこう書いた。
「四年のとき ながしの すのこで ころんで つめを はがして いたかった」
担任の先生は、小学校生活の思い出を書きなさいとか、将来の希望を書きなさいとは言わなかった。そんなことはわざわざ言わなくても、卒業文集にはどんなことを書くべきか、生徒は全員わかっているはずと先生は思っていたはずだし、現にW君以外の子供は先生が期待した通りの作文を書いた。



社会化されている人間の中で社会科されていない部分をいかに言語化するするかということで、社会化されていない部分は、普通の生活ではマイナスになったり他人から怪訝な顔をされるものだけど、小説には絶対に書かせない、つまり小説とは人間に対する圧倒的な肯定なのだ。